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こんばんは、釈迦異人さん。
釈迦異人さんは、勇気がある人ですね。
これまで、俺と会話した、多くの人は、否応無しに、自分と向き合う時間が増えるんです。
何故なら、俺が興味が沸いたのは、”その人”で、知りたいと、質問するなどして、考えて貰ってるのは、自分の事だからです。
で、多くの人は、俺との会話を拒否します。
ちょっと勇気がある人も、いずれ辛くなり、それ以上知ることに恐怖して「ごめんなさい」と、拒否はしないけど、もう会話は無理となります。
数少ないですが、俺の質問に、ちゃんと、自分と向き合い、見えてくる自分を、
受け入れようと
する人が居ます。
釈迦異人さんも、その一人になりそうですね。
自分と向き合うのは、とても、勇気がいることです。
見たくないこと、知りたく無いこと、そして、何より、認めたく無い自分と向き合うことが多いです。
忘れないでください。
死ぬまで、成長しているってことです。
と言うことは、常に、”途中”なんだと言うことです。
決して、今が、完成形では無いってことです。
いくらでも、進化させることが可能ってことです。
>承認欲求について
>確かに、私はその善悪を、評価を他者に委ねている節があります。
>身近な人というわけでなく、ルールや世間一般に言われている事に対し委ねているのかと。
>
多分、多くの人にも、それは、あると思います。
何故なら、[楽]だからだと想います。
自分のルールでは無く、他人のルールなら、失敗した時、”他人の責任”へと転換可能で、自分は傷つかないと想います。
次の部分、多分、重要な部分です。
>犬猫について
・・・省略・・・
>むしろ、私は常に強者の立場にいるとすら、感じています。
それです。
捨て犬・捨て猫は、釈迦異人さんにとって、弱者と言う視点にあるってことです。
言い換えれば、釈迦異人さんにとっても、犬・猫は、
対等な生物
では無いってことです。
また、矛盾がありますよね。
口が利けて、裏切ることが可能な関係なら、フェアだけどと、身勝手な飼い主を批判してましたよね?
逆説的に言えば
「私は、犬・猫を、対等な関係だと想ってますよ」
と言ったと同じなんです。
でも、実際は、弱者の位置づけをして、対等な関係では無い思考だと言うことです。
>つまり、私が尊いと感じるのは、人へ一身に尽くす従順さなのかもしれませんね。
>これが、私の価値観の基準なのではないかと…
う〜ん・・・、とても難しいことを言って居るのは、解りますか?
ちょっと、次の質問に答えてください。
Q1.釈迦異人さんが、一身に尽くせる相手とは、どんな人間ですか?
Q2.[従順]とは、<おとなしく素直なこと。人に逆らわないこと。>ですね。
それは、[言いなりな。自主性が無い。]人と、どう違うのですか?
>パレさんと話していて感じましたが、些細なことにも重要なヒントがあるように思えます。それは自分で考えている限りは見逃しがちなのかもしれません。
>やはり、人との繋がり、会話は、重要なものと思います。
そうなんです。
世界は、<サイン>に、溢れているんです。
>仕事では相手の弱みを探り、会社の利益になるべく行動しますし、
>会社の害になると思えば、相手の担当がどんな人であれ、取引を打切ります。
何を利益と捉え、何を害と捉えるかで、全然、違う選択肢になります。
ある人が言った言葉で(誰の言葉か忘れました(笑))、
[耳が痛いことを言う人を、大切にしなさい]
と言うのがあります。
耳が痛いのは、核心を突かれて痛いとか、知ってるけど隠していた罪悪感を追求されて痛いなどです。
これを、害をなす人って評価して、遠ざける人が多いでしょうね。
しかし、真実なら、それを解決することは、結果として、利益になる訳ですね。
となると、利益を 与える人 と言う評価も、正解ですね。
営利関係でも同じです。
短期に見れば、害しか無いことも、長期で、または、広範囲で見た時、より多くの利益になる場合があります。
判断する人の、視野の広さや、分析力などにより、評価は、代わる可能性があるってことです。
だとすれば、”誰でも代わりができる”は、間違いってことになります。
>本当にパレ様の思考は素晴らしいですね。私と違い自然に相手を思いやる行動が取れるのですね。
だから〜
誤解です(笑)
過大評価してます。
最初にも書いたとおり、俺は、俺のために行動してます。
相手を思い遣った つもり は、一度も無いです。
何故なら
<他人の気持ちは理解できない。出来るのは、理解する努力>
だからです。
どこまで言っても、”解ったつもり”が最大で、決して、理解できるは、想ってないです。
なので、思い遣れないです。
解ってないのだから。
>ですので、そのような思考を持つに至った過程は、今の私にとって大変参考になるもののように思えます。
>
結論から言うと、無駄なものは、何も無いってことです。
この世のすべてに、<サイン>があり、それを受け取る 感度 を磨けば、色んなものが見えるようになります。
誰でも。
今の俺を作り出したのは、本・TV・ラジオ・映画・音楽・スポーツなどと、ちょっと勉強(さぼることが上手かった(笑))、沢山の人との出会いです。
太極図って知ってます?
Googleで、太極図のキーワードで検索して、検索結果で[画像]クリックで、画像検索に変えてみてください。
1つの円で、白い勾玉と、黒い勾玉が合わさって、1つの円を作ってます。
白い勾玉には、黒い小さな●があり、黒い勾玉には、白い小さな○があります。
これは、この世を表わした図だそうです。
白を善として、黒を悪とする時、白にある小さな黒は、善の中にも悪があり、逆に、黒にある小さな白は、悪の中に善があると示してます。
総じて、この世は、<混沌>だと表現してます。
これ、俺が、どうやって知ったと想います?
カンフーの天才【ブルース・リー】によって知ったのです。
映画を見て、ブルース・リーに興味を持った俺は、様々なメディア(本)や、TVでブルース・リー特集をしてれば、欠かさず見ることで、様々なことを知りました。
そして、ブルース・リーにとって、カンフーは、自分を幸せへと導く、哲学だと知ります。
独自に作り出したカンフーとして【ジークンドー(截拳道)】と言うのがあります。
このシンボルマークの中心に、太極図があるんです。
これは何?と調べて、その意味を知ったのです。
元々は、道教と言う、宗教に関係したものらしいです。
ちょっと話が飛びますね(ちょっと思いついた)。
俺ね、ミュージカルが苦手で、基本、舞台劇も苦手です。
TVでのドラマや映画は好きで、レンタルDVDなどで、月単位でも、相当見てます。
なのに、ジャンルとして、ミュージカルや舞台劇は、苦手です。
あれで感動して泣いている人を見ると、不思議でした。
俺ね、King Kazuの信者ってくらい、三浦知良が大好きで、サッカーはやるのも見るのも好きです。
サッカーの楽しさを知らない人は、人生の喜びを、相当損してると想うくらいです。
たった数瞬の中に、人が、人生で何度かしか遭遇しないような、様々な経験をしてて、それを、見ることが可能なんです。
で、俺は、野球が嫌いです。
でも、スポーツってことで言えば、野球も同じように、数瞬に、同様のことが起きてるって、理解は出来ます。
単に、興味が沸かないし、好きになれないってだけです。
同じなんだと、近年、理解したんです(笑)
ミュージカルや舞台劇で、感動して泣いて、何かを得た人は、俺がサッカーで感動して、生きるエネルギーを貰ってるのと、同じってことです。
音楽で言えば、俺は、QUEENが、血に混ざってるって想うくらい、QUEENの曲が無ければ、生きられないってくらい、生活に溶け込んでます。
人は、生まれる時、母親の 心音 と言う、音楽と共に、この世に生まれた筈なんです。
俺はね、今、毎日が幸せです。
この 今 があるのは、過去があるからです。
過去を否定するのは、今を否定するってことです。
即ち、無駄を唱える人は、今が、幸せでは無いってことです。
幸せを感じたとき、振り返って見てください。
絶対に、歩いて来た 過去 を、無駄だったとは、言わない筈です。
俺で良ければ、質問に付き合います。
遠慮せず、質問してください。
それを知ることで、自分と向き合う ヒント になったら、それは、俺も嬉しいからです。
あっ、忘れてました。
俺は、誰でも信用している訳では無いですよ。
嫌いな人には、割とハッキリ「嫌いです」と言いますしね(笑)
多くの場合、ニュートラルです。
あまり、信にも、偽にも、心は動かないです。
まずは、かなり観察することに集中するってことです。
一番気をつけて居るのは、極力、先入観を持たないようにすることです。
そして、解らないことは、質問をします。
観察して、質問の繰り返しですかね。
誰に対しても同じですが、俺のことも、そんなに簡単には、理解することは、出来無いですよ(笑)
少しずつしかね。
≪規約同意済み≫
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